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2013'06.28 (Fri)

終わったナ!

こういう記事を目にした。
----- 引用 -----
毎日新聞 2013年06月25日
「やつも終わったナ」と言われたことがある。
20年以上前、脳卒中で倒れた。三日三晩、意識がなく、気の早い向きは葬式の“段取り”を考えていたそうだが、一命は取り留めた。が、右半身まひ、言語障害の重い後遺症。
ある日、同僚がそろって見舞いに来てくれた。本人は普通にあいさつしているつもりだが……「アー」とか「ウー」とか、まともな「言葉」にならない。廊下に出た同僚の一人が思わず「やつも終わったナ」とつぶやいたのを家人が聞いてしまった。悪気はなかった、と思う。週刊誌編集長の激務は無理!と言いたかったのだろう。でも……ショックだった。
社会人失格!と言われたような気分だった。「やつも終わり」には「死刑宣告」のような冷たい響きがあった。
以下省略 ----------

突然の病気やケガで身体が不自由になる。
人間誰しもその可能性があるが、まさか自分がそうなるとは夢にも思わない。
もう一生、元には戻らない。
それを知ったときのショックは、そうなった人にしかわからない。
何で自分だけが、この身体でこの先どうやって生きていけばいいのか、、、
いろんなこと、いろんな思いが一気に押し寄せてくる。
それはショックどころの話しじゃない。生きていけない、死にたい、、、
そのときあるのは、そんな絶望だけ。

確かに、もう以前のバリバリ動いていたときの自分じゃない。
だから思ってしまう、「もう終わった」と。
でも「終わった」とは、もう以前の自分に戻れないってことに対して。
ということは、終わったと、そのときに思い込んでいるだけかもしんない。
時間の経過とともに人は経験していく。
もちろん、さらなる絶望もあるね。
けど、ちょっとだけ光も差し込んできたりもする。
何でそう言いきれる?
何でって、僕がそうだったから。

以前のように動けないし、できないこともやたら多い。
けど、身体が元に治らなくても自分らしくは生きていける。
だから、負けたとか終わったとそのとき感じても、それは決して終わりじゃない。
あきらめたとき、それが本当の終わりだと僕は思っている。
病気やケガで障害者になった。
それならそれで、そのときからまた始めればいい。新たなスタートだ。
すると、その後の自分も絶対に好きになるから。
何でわかる? 僕がそうだから。

身体が不自由になり「やつも終わり」「社会人失格」「死刑宣告」か~、なるほど。。。
でもね、さらに傷つく言葉や態度、あからさまな偏見や差別、そんなの今の社会にはたくさんあるぞ。
まっ、それさえも笑顔で受け止めやい。
それくらい、気持ちに余裕のある生き方をしたい。

そんな余裕いらないって?
それもまた、よし!

自分が思い感じること、、、

それが自分らしくということだから。


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